
第1回授業 「ひとりじゃないよ」
――自分も相手も大切にする関わり方――
6月4日(日)14:30~16:30 横浜市立大学シーガルホール(横浜市金沢区)
講師:副島 賢和(そえじま・まさかず)先生
(昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、ホスピタルクラウン)
受講者53人(4年生11人、5年生22人、6年生20人)
子ども大学の学生はふだん横浜市や近隣の小学校に通っています。朝、眠い目をこすりながら家族と暮らす家を出て、慣れ親しんだ通学路を通り、学校で友だちとふざけ合い(もちろん勉強もして)、「またあした」を言い合って下校する――そんな変哲もない、それでも楽しい日常を送っています。しかし、そんな当たり前の日々を送れない子どもたちもいます。病気やけがと闘うために病院で過ごしている子どもたちです。
今年度最初の授業は、長く院内学級の教育指導に携わり「赤はな先生」としても知られる副島賢和先生から、入院中の子どもたちがどんなことを思っているのかを教えてもらい、不安や恐れの中にいる人にどのように接すればよいのかを考えました。
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――はじめに
私は今は大学の先生をしていますが、もともとは小学校の先生でした。病院の中の学校でも教えていました。そしてこの扮装(ふんそう)と赤鼻でわかると思いますが、ホスピタルクラウンという仕事も続けています。クラウンは道化師のことです。サーカスなどでおなじみですが、ホスピタルクラウンは病院の中にいて、子どもたちに笑いを届けるのが役目です。
きょうはみなさんと「自分も相手も大切にするにはどうしたらよいか」ということを考えたいと思います。私は「自分も相手も『ひとりじゃない』と思えるようになること」が大事だと考えていますが、これが正解というわけではありません。今でもずっと答えを探しています。小学校の先生をしていたころは「相手を大切にするにはどうしたらよいか」だけを問題にして、「自分も大切にする」ということまでは考えていませんでした。院内学級の子が教えてくれたのです。「自分を大切にできない人がどうやって他人を大切にできるの」と。なるほどなと思いました。それからは「自分も相手も」ということを考えるようにしています。
――院内学級ってなに

院内学級とは病院の中にある学校・学級のことです。病気やけがで入院している子どもたちが集まって一緒に学習したり、遊んだりする教室です。「病気なのに勉強するの?」と思うでしょう。でもみなさんと同じように勉強しているのです。私が担当している昭和大学病院の院内学級は「さいかち学級」といいます。理科や国語などの教科があり、休み時間もあります。重い病気だったり、体調が悪かったりして教室に来られない時は、ベッドサイド学習といって先生が勉強道具を持って病室まで出向くこともあります。
学年も病気もさまざまなので、それぞれの学習進度に合わせて準備をします。リラックスして勉強できるように席順も工夫しています。でも、勉強を教えること以上に大事にしていることがあります。それは「あなたはひとりじゃないよ」「どんな感情も大切にしていいんだよ」と伝えることです。
みなさんは「病気の子」と聞いてどんなことを思いますか。「かわいそう」「退院できるの?」「治らない子もいるの?」――そんなふうに思いますよね。実は入院している子たちもそう思われていることをわかっているのです。そして、このまま治らないんじゃないかいう不安や家族に迷惑をかけているという申し訳ない気持ちから、「自分はダメだ」と思ってしまいがちです。
――当事者意識を持とう
そんな子どもたちにどう向き合えばいいかというのはむずかしい問題ですが、必要なのは視点を変えてみることです。簡単な実験をしてみましょう。指を頭の上に上げて時計回りに回してみてください。その指を回したままでおへそのあたりまで下げて上から見てみます。回る方向が逆に、反時計回りになりましたね。同じ方向から見ているだけではわからないことも、見る方向を変えると違って見えてきます。嫌だと思っていることも見方を変えると別のものになるのです。
絵本作家の中川ひろたかさんに「へいわ」という詩があります。
この詩をもとに、「どんなことがあるといい・・・そうだったらいい」という詩を院内学級の子どもたちにも作ってもらいました。少し紹介します。
小学2年生は「好きなものが食べられるといい/好きな遊びができるといい/お母さんとずっといられるといい/友だちがいっぱいいるといい」と書きました。入院生活は食事が制限されます。退屈でなりません。コロナ禍で家族との面会も15分しか許されませんでした。この子は、何度も入院を繰り返すなかで、クラスメートが自分のことを忘れていないかともう不安に思っているのです。
小学4年生からは「もし大人になれたら」という、どきりとする言葉を聞きました。5歳のころから頭蓋骨に穴を開ける大手術を受けている子ですが、大人になることを「もしなれたら」と言ったのです。
病気を抱えた子たちがどんなことを思って日々を過ごしているか、みなさんも考えてみてください。「早く退院したい」「こんな所もういたくない」。そんなふうに言っている友だちに、あなたならどんな声をかけますか。自分が経験したことのない状況にいる子どもたちのことを想像するのは大変です。どんな言葉をかければよいのか、わからないときがいっぱいあります。私にも正解はわかりません。できるのは一生懸命考えることだけです。そしてみなさんにも相手の気持ちを想像するということを大切にしてほしいと思っています。
――感情を大切にしよう

院内学級の朝の会ではよく夢の話を聞きます。昨夜はきちんと眠れたか、今どんな気持ちでいるかを知りたいからです。ある日、高学年の男の子が「いやな夢を見た」と教えてくれました。長く入院していて、ある日久しぶりに学校へ行ったら自分の席がなかった。その席には転校生が座っていて「お前帰れ」と言われた。とぼとぼ歩いて帰るところで目が覚めた――。そんな夢だったそうです。3か月ほど入院していて、毎日のように「早く学校の友だちと遊びたい」と言っていた子です。さて男の子はいつこの夢を見たと思いますか。実は退院が決まった日の夜なのです。退院できることはうれしかったでしょう。でも同時に心配事や不安がいっぱい押し寄せてきて、それが夢になって表れたのだろうと思います。
病院の中には悲しい気持ちや悔しい気持ち、さみしい気持ちがあふれています。学校や家の中にもあるかもしれません。私は小学校の先生をやっていたころ、休み時間に泣いた子がいたら「授業が始まるから一度顔を洗ってきて。次の休み時間にちゃんと話を聞くから」「今はそんな気持ちを表に出さないでほしいな」と言ったり思ったりしていました。「あいつを殴ってやりたい」なんて言い出す子には「そんな気持ちを持っちゃだめだ」と言っていました。
しかし、今はそうは思いません。気持ちに良い悪いはありません。どんな感情も大切にしてよいのです。悲しいという感情は人にやさしくする気持ちに換えられます。悔しいという気持ち、イライラする気持ちは何かに挑戦する感情に換えられます。だから今は「どんな気持ちも大切にしていいよ、持っているだけならいいんだよ」と話しています。もちろん気持ちを抑えきれなくなって泣いたり怒ったりする子もいます。でも、いやなことがあって悲しい、悔しいという気持ちを持つのは当たり前のことです。怖いのはその当たり前の気持ちにふたをして少しずつ自分にうそをついていくことです。
感情の裏には必ず願いが隠れています。怒っている人は「変われ」と願っています。「世の中変わってくれ」「お前変われよ」「自分も変わりたい」と思う時に怒りをぶつけることが多いです。悲しみは「辛いよ。助けて」と願って泣きます。「怖い」「苦しい」はその原因を「早くどけてくれ」と訴えています。だから、友だちからちょっとむずかしい気持ちを受け取った時には、その向こうにある願いは何かなということを考えてあげてください。そして自分の中にもこんな気持ちが生まれた時は「あれ、私は何を願っているのかな」と考えてみてください。
みなさんも「助けて」と言っていいんです。失敗したって大丈夫です。今日という日は誰にとっても初めての日です。だから失敗することもあるし、うまくいかないこともあって当たり前なんです。甘えるなと言う大人もいるかもしれませんが、でも考えてみてください。みなさんはもし10回大変なことがあったとして、何度「助けて」を言いますか。そんなに簡単に言いませんよね。院内学級の子どもたちもも同じです。病院には看護師さんを呼ぶ「ナースコール」というボタンがありますが、そう簡単には押しません。我慢して我慢して、どうしようもなくなったときに初めて押すのです。子どもたちの「助けて」は最後通告なのです。だから、自分も「助けて」って言っていいし、友達が「助けて」と言ってくれたら、全力で支えてあげてほしいと思います。

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