1.授業・イベントのお知らせ

 

榊原学長の「さかきはらゼミ」開講! 

初回は2023年 9月30日(土)を予定しています。

 

学長と話そう!みんなの<はてな学>

詳細は追ってお知らせします。

 


2.授業レポート

2023年度 第2回授業

   

第2回授業 チェンジメーカーになろう!

                   ―持続可能な地球社会のつくりかた―」

 

7月30日(日)14:00~16:00 横浜市立大学ピオニーホール(横浜市金沢区)

講師:上村 雄彦(うえむら・たけひこ)先生

 (横浜市立大学 国際教養学部教授)

受講者44人(4年生9人、5年生19人、6年生16人)

  

 子ども大学ではこれまでSDGsの授業などを通して地球規模の問題について学んできました。貧困や気候変動、環境破壊など問題は多岐にわたりますが、それらはいずれも私たち人間が引き起こした問題でした。国際機関や研究者などがさまざまな取り組みを続けていますが、事態が好転する兆しは見えてきません。世界の英知を結集しても解決に至らないのはなぜなのでしょう。地球に暮らす私たちは何をすればよいのでしょう。国連やNGOなどの勤務経験もある上村雄彦先生に、グローバル政治という観点から問題解決のヒントを教えてもらいました。

 また、授業内容が詳しく解説されている『世界の富を再分配する30の方法 ―グローバル・タックスが世界を変える―』(上村雄彦編著、合同出版刊)が全員にプレゼントされました。

 授業の概要を紹介します。

 

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――はじめに

 みなさんの中にもスマートフォンを使っている人がいると思いますが、線がつながっていないのに音が聞こえるのはなぜでしょう。電子レンジは火をつけていないのになぜ中のものが熱くなるのでしょう。ともに電磁波の働きによるものです。スマホは電磁波を使って通信を行い、電子レンジは電磁波が水分を揺らし摩擦を起こすことで熱を発生させます。私たちもスマホを体に近づけすぎると電磁波を浴びて健康障害の原因になることもあるので、体から距離を置いて使うよう心がける必要があります。

 このように、便利な時代を生きるうえで気をつけなければいけないことはたくさんあるのですが、きょうはもっと大きな話をしたいと思います。地球の話です。みなさんはこの地球で生まれました。そして今ここで生き、いずれここで死んでいきます。地球はとても大切な星です。その地球が危機に瀕(ひん)しているのです。

 

――地球は危機的な状況にある

 世界では今、貧困による飢餓(きが)や栄養失調のせいで6秒に1人の割合で子どもたちが死んでいます。紛争やテロは約30の国で続いています。森林破壊が進み1秒間にサッカーコート1面分が失われています。地球温暖化も加速しています。地球の平均気温が産業革命時と比べ何度上がったらダメかという数字を世界の科学者が議論して示しました。1.5度です。残念なことに2030年には超えてしまいます。1.5度の上昇で南極西側の氷床は融解(ゆうかい)します。2度上がるとグリーンランドの氷床やシベリアの永久凍土が溶け、そこに閉じ込められているメタンガスが放出されて温暖化に拍車がかかります。南極の氷の厚さは平均2500メートルです。今後100年間で現実になることはありませんが、仮に南極の氷が全部溶けたとしたら世界の海水面は70メートル近く上昇し、島や沿岸部は水没して地球は破滅的な状況になってしまいます。平和な日本で暮らしていると気づかないこともありますが、地球はすでに待ったなしの、人類にとって生存危機の状態にあるのです。

 

――問題の根幹を見つけよう

 こうした状況に何としても歯止めをかけなければなりません。それには問題を根本から解決する人が必要です。私はそういう人をチェンジメーカーと呼んでいます。チェンジメーカーを増やし、その一人ひとりが行動していくことで地球を救うことができると思っています。それともう一つ、世界の仕組みや構造を変えていくことが必要です。では問題の根幹とは何でしょう。まず、問題を生み出している世界の仕組みについて考えてみます。

① 主権国家体制

 現状の問題を生み出している原因として、主権国家体制という国際政治の仕組みが挙げられます。地球上にはいろいろな国がありますが、国々を束ね地球全体をまとめる政府はありません。現在の国際社会は主権国家体制のもとに成り立っており、それぞれの国の権利は不可侵で最も優先されるべきものとされています。ですから各国が一番大事にするのは自分の国の利益です。アメリカの大統領も日本の首相も自分の国のことを第一に考えることを求められています。国益のほうが地球の利益より重視されるわけです。

② 資本主義経済

 次に資本主義という経済の仕組みがあります。すべてをお金でやりとりする経済体制のことです。この体制のもとでマネーゲームが膨張(ぼうちょう)しています。実際に物やサービスを売り買いする経済を実体経済と言いますが、世界の実体経済の規模は2012年時点で日本円にして7942億円です。一方、実態のないバーチャル経済というものがあります。株や債券(さいけん)、通貨などの売買で利ざやを得る取引です。安い時に買って高くなった時に売ればもうかりますよね。このバーチャル経済に注ぎ込まれる金融資本は9京(けい)9110兆円で、実体経済の12倍以上になっています。たとえば社会のためにがんばっている会社の株を買って応援しようとするのならよいのですが、マネーゲームの当事者たちはそうは考えません。武器を売る企業であろうがなんであろうが、自分がもうかりさえすればよいのです。そのために彼らは1秒間に1000回以上も取引を繰り返したりします。金融資本が求めるものは短期的利潤だけです。この金融資本には企業も国も逆らえません。逆らえば株や国債が売られ、企業は倒産するし国は経済破綻(はたん)してしまうからです。

③ タックス・ヘイブン

 こうした利益を得ても税金を納めてくれればよいと思うかもしれませんが、彼らは税金もきちんと払ってはいません。マネーゲームでもうけたお金は、タックス・ヘイブン(租税回避地)という税金のかからない、あるいは税率のきわめて低い地域に貯められています。そこにペーパーカンパニーを作って帳簿上でお金を移し、本国で課税されるのを免れているのです。タックス・ヘイブンの地域は入出金の手数料などで稼ぎ、預金者や額などに関する情報は外部に明かしません。みなさんがふだん外食やスマホ、検索サービスなどで利用している世界的な有名企業もタックス・ヘイブンを使っています。ここに秘匿(ひとく)されているお金は5000兆円に上ります。SDGsの問題解決に必要な費用は年間400兆から500兆円と言われていますから、それを軽く上回ります。

④ トランスナショナル資本家階級

 こんなお金を一体だれが持っているのでしょう。世界にはトランスナショナル資本家階級と呼ばれる富裕層がいます。マネーゲームに投資して年間約130億円以上の不労所得を得ている人たちです。世界に最低13万人おり、この富裕層の収入だけで年間1700兆円に上ります。彼らはこうした資金を使って多国籍企業を支配し、世界の政治家をコントロールしていると言えます。

 

グループ学習(解決に向けて)

 

主権国家体制、資本主義、タックス・ヘイブン、トランスナショナル資本家階級という四つの問題の根幹について考えたところで、グループ学習に移りました。「地球を救うための根本的な解決策」について、まずそれぞれが思いついたことを書き出します。続いて隣の人とペアになってお互いの書き出した意見を交換して述べあい、発表しました。その中から出された意見は以下のようなものでした。

・自給自足を心がけ、食物の輸入を減らす。

・植林を義務化し、燃料を植物でまかなう。

・海水を人工的に氷にし、南極の氷が溶けるのに備える。

・富を持つ人々が貧しい人たちに寄付をする。

・税率を高め、その税金を途上国に回す。

・タックス・ヘイブンを廃止。貯まっているお金をSDGsの解決に充てる。

・地球のことを第一に考える世界規模の中央政府をつくる。

――地球レベルの解決策は

 素晴らしい意見がたくさん出ました。ぜひ実践していきたいですね。それでは私が考える解決策についてお話しします。

 まず、グローバル・タックス、地球レベルで税金の制度を整えることです。もし日本に税金がなかったらどうなるか考えてみましょう。税金のない社会は果たして幸せでしょうか。政府にはお金がなくなり、警察や消防などの活動は維持できなくなります。教育や医療、福祉にかけるお金もなく、年金も払えません。これらは税金でまかなわれているのです。しかし、国の税金はあっても、地球社会の税金というのはありません。ですから各国が話し合って新しく作る必要があります。共通のルールをつくり、課税のために必要な情報を共有します。そして国境を越えた革新的な課税を行います。たとえば、ガソリンや電気を使えば使うほど税金がかかる地球炭素税のようなものをつくり、その税収で再生可能エネルギーの開発を行うのです。課税や徴税、分配のための透明で民主的な地球規模のガバナンスを構築します。グローバル・タックスが実現すると年間300兆円の税収が得られ、投機的な取引が抑制されます。

 次に、世界政府の創設です。この政府は地球規模の課題の解決と人類の生存確保を目的とします。世界議会を設け、各国代表による一院と地球の利益を代表する二院とを置きます。ここでは人類の生存に関わる問題だけを議論します。そして議会で決まった政策を実行する世界政府をつくり、それを法律で規定する世界憲法も制定します。さまざまな団体や専門家の組織も作りいろいろな声を聞いて、世界のことをみんなで決める仕組みを作ろうということです。国連ではだめなのかと考えるかもしれませんが、現在の国際機関は財源が加盟国の拠出金(きょしゅつきん)で運営され、理事会は政府代表に限られるなど、大国の意向が強く反映されます。いわば国連もそれぞれの国の下に位置しているのです。

 

――世界政府は実現できるか

 世界政府の実現にはグローバル・タックスの導入が不可欠です。グローバル・タックスは多数で多様な納税者を確保できます。国際機関はこれまで各国に拠出してもらったお金で運営してきましたが、地球規模の税があれば世界政府が自分の財源である税収を地球の課題にまっすぐ振り向けることができるのです。一部の加盟国の意向でなく、透明性の高い民主的な議論と説明責任が尊重されるようになります。実はすでに航空券連帯税というものがあります。国際線の航空券に低率の税をかけるものです。日本は導入していませんが、世界10数か国で導入されています。ユニットエイドという国際機関が創られ、その税収を途上国の貧しい人々がエイズや結核など感染症の治療を受けることができるような活動をしています。このような機関が増え、地球炭素税や武器輸出税といったようなグローバル・タックスができてくると世界は変わってくると思います。こうした国際機関がまとまっていくと世界政府につながっていくと思います。世界の問題は解決する可能性があるのです。

 また、11月には東京でユナイテッド・ピース・インターナショナルという組織がノーベル平和賞受賞者を招待し、世界政府を考えるサミットを開催します。このように、いまの地球の危機をきちんと認識し、持続可能で平和な世界をつくろうという動きがしっかりとあるのです。みなさんもチェンジ・メーカーになって一緒にハッピーな地球社会をつくっていきましょう! 

 

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2023年度 入学式・第1回授業

   

第1回授業 「ひとりじゃないよ」

                   ――自分も相手も大切にする関わり方――

6月4日(日)14:30~16:30 横浜市立大学シーガルホール(横浜市金沢区)

講師:副島 賢和(そえじま・まさかず)先生

 (昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、ホスピタルクラウン)

受講者53人(4年生11人、5年生22人、6年生20人)

  

 

 子ども大学の学生はふだん横浜市や近隣の小学校に通っています。朝、眠い目をこすりながら家族と暮らす家を出て、慣れ親しんだ通学路を通り、学校で友だちとふざけ合い(もちろん勉強もして)、「またあした」を言い合って下校する――そんな変哲もない、それでも楽しい日常を送っています。しかし、そんな当たり前の日々を送れない子どもたちもいます。病気やけがと闘うために病院で過ごしている子どもたちです。

 今年度最初の授業は、長く院内学級の教育指導に携わり「赤はな先生」としても知られる副島賢和先生から、入院中の子どもたちがどんなことを思っているのかを教えてもらい、不安や恐れの中にいる人にどのように接すればよいのかを考えました。

 

 

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――はじめに

 私は今は大学の先生をしていますが、もともとは小学校の先生でした。病院の中の学校でも教えていました。そしてこの扮装(ふんそう)と赤鼻でわかると思いますが、ホスピタルクラウンという仕事も続けています。クラウンは道化師のことです。サーカスなどでおなじみですが、ホスピタルクラウンは病院の中にいて、子どもたちに笑いを届けるのが役目です。

 きょうはみなさんと「自分も相手も大切にするにはどうしたらよいか」ということを考えたいと思います。私は「自分も相手も『ひとりじゃない』と思えるようになること」が大事だと考えていますが、これが正解というわけではありません。今でもずっと答えを探しています。小学校の先生をしていたころは「相手を大切にするにはどうしたらよいか」だけを問題にして、「自分も大切にする」ということまでは考えていませんでした。院内学級の子が教えてくれたのです。「自分を大切にできない人がどうやって他人を大切にできるの」と。なるほどなと思いました。それからは「自分も相手も」ということを考えるようにしています。

 

――院内学級ってなに

 院内学級とは病院の中にある学校・学級のことです。病気やけがで入院している子どもたちが集まって一緒に学習したり、遊んだりする教室です。「病気なのに勉強するの?」と思うでしょう。でもみなさんと同じように勉強しているのです。私が担当している昭和大学病院の院内学級は「さいかち学級」といいます。理科や国語などの教科があり、休み時間もあります。重い病気だったり、体調が悪かったりして教室に来られない時は、ベッドサイド学習といって先生が勉強道具を持って病室まで出向くこともあります。

 学年も病気もさまざまなので、それぞれの学習進度に合わせて準備をします。リラックスして勉強できるように席順も工夫しています。でも、勉強を教えること以上に大事にしていることがあります。それは「あなたはひとりじゃないよ」「どんな感情も大切にしていいんだよ」と伝えることです。

 みなさんは「病気の子」と聞いてどんなことを思いますか。「かわいそう」「退院できるの?」「治らない子もいるの?」――そんなふうに思いますよね。実は入院している子たちもそう思われていることをわかっているのです。そして、このまま治らないんじゃないかいう不安や家族に迷惑をかけているという申し訳ない気持ちから、「自分はダメだ」と思ってしまいがちです。

 

――当事者意識を持とう

 そんな子どもたちにどう向き合えばいいかというのはむずかしい問題ですが、必要なのは視点を変えてみることです。簡単な実験をしてみましょう。指を頭の上に上げて時計回りに回してみてください。その指を回したままでおへそのあたりまで下げて上から見てみます。回る方向が逆に、反時計回りになりましたね。同じ方向から見ているだけではわからないことも、見る方向を変えると違って見えてきます。嫌だと思っていることも見方を変えると別のものになるのです。

 絵本作家の中川ひろたかさんに「へいわ」という詩があります。

 この詩をもとに、「どんなことがあるといい・・・そうだったらいい」という詩を院内学級の子どもたちにも作ってもらいました。少し紹介します。

 小学2年生は「好きなものが食べられるといい/好きな遊びができるといい/お母さんとずっといられるといい/友だちがいっぱいいるといい」と書きました。入院生活は食事が制限されます。退屈でなりません。コロナ禍で家族との面会も15分しか許されませんでした。この子は、何度も入院を繰り返すなかで、クラスメートが自分のことを忘れていないかともう不安に思っているのです。

 小学4年生からは「もし大人になれたら」という、どきりとする言葉を聞きました。5歳のころから頭蓋骨に穴を開ける大手術を受けている子ですが、大人になることを「もしなれたら」と言ったのです。

 病気を抱えた子たちがどんなことを思って日々を過ごしているか、みなさんも考えてみてください。「早く退院したい」「こんな所もういたくない」。そんなふうに言っている友だちに、あなたならどんな声をかけますか。自分が経験したことのない状況にいる子どもたちのことを想像するのは大変です。どんな言葉をかければよいのか、わからないときがいっぱいあります。私にも正解はわかりません。できるのは一生懸命考えることだけです。そしてみなさんにも相手の気持ちを想像するということを大切にしてほしいと思っています。

 

――感情を大切にしよう

 院内学級の朝の会ではよく夢の話を聞きます。昨夜はきちんと眠れたか、今どんな気持ちでいるかを知りたいからです。ある日、高学年の男の子が「いやな夢を見た」と教えてくれました。長く入院していて、ある日久しぶりに学校へ行ったら自分の席がなかった。その席には転校生が座っていて「お前帰れ」と言われた。とぼとぼ歩いて帰るところで目が覚めた――。そんな夢だったそうです。3か月ほど入院していて、毎日のように「早く学校の友だちと遊びたい」と言っていた子です。さて男の子はいつこの夢を見たと思いますか。実は退院が決まった日の夜なのです。退院できることはうれしかったでしょう。でも同時に心配事や不安がいっぱい押し寄せてきて、それが夢になって表れたのだろうと思います。

 病院の中には悲しい気持ちや悔しい気持ち、さみしい気持ちがあふれています。学校や家の中にもあるかもしれません。私は小学校の先生をやっていたころ、休み時間に泣いた子がいたら「授業が始まるから一度顔を洗ってきて。次の休み時間にちゃんと話を聞くから」「今はそんな気持ちを表に出さないでほしいな」と言ったり思ったりしていました。「あいつを殴ってやりたい」なんて言い出す子には「そんな気持ちを持っちゃだめだ」と言っていました。

 しかし、今はそうは思いません。気持ちに良い悪いはありません。どんな感情も大切にしてよいのです。悲しいという感情は人にやさしくする気持ちに換えられます。悔しいという気持ち、イライラする気持ちは何かに挑戦する感情に換えられます。だから今は「どんな気持ちも大切にしていいよ、持っているだけならいいんだよ」と話しています。もちろん気持ちを抑えきれなくなって泣いたり怒ったりする子もいます。でも、いやなことがあって悲しい、悔しいという気持ちを持つのは当たり前のことです。怖いのはその当たり前の気持ちにふたをして少しずつ自分にうそをついていくことです。

 感情の裏には必ず願いが隠れています。怒っている人は「変われ」と願っています。「世の中変わってくれ」「お前変われよ」「自分も変わりたい」と思う時に怒りをぶつけることが多いです。悲しみは「辛いよ。助けて」と願って泣きます。「怖い」「苦しい」はその原因を「早くどけてくれ」と訴えています。だから、友だちからちょっとむずかしい気持ちを受け取った時には、その向こうにある願いは何かなということを考えてあげてください。そして自分の中にもこんな気持ちが生まれた時は「あれ、私は何を願っているのかな」と考えてみてください。

 みなさんも「助けて」と言っていいんです。失敗したって大丈夫です。今日という日は誰にとっても初めての日です。だから失敗することもあるし、うまくいかないこともあって当たり前なんです。甘えるなと言う大人もいるかもしれませんが、でも考えてみてください。みなさんはもし10回大変なことがあったとして、何度「助けて」を言いますか。そんなに簡単に言いませんよね。院内学級の子どもたちもも同じです。病院には看護師さんを呼ぶ「ナースコール」というボタンがありますが、そう簡単には押しません。我慢して我慢して、どうしようもなくなったときに初めて押すのです。子どもたちの「助けて」は最後通告なのです。だから、自分も「助けて」って言っていいし、友達が「助けて」と言ってくれたら、全力で支えてあげてほしいと思います。

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2022年度 第5回授業・修了式

   

第5回授業 「最近の気象災害と、地球温暖化の将来予測」

                   ――明るい未来へのアイデアを考えよう――

2月12日(日)14:00~16:00 横浜市立大学ピオニーホール(横浜市金沢区)

講師:岩谷 忠幸(いわや・ただゆき)先生

      (気象予報士、防災士、オフィス気象キャスター代表)

受講者69人(4年生21人、5年生22人、6年生26人)

  

 

 新聞やテレビニュースなどで連日のように取り上げられる地球温暖化。干ばつや森林火災、海面の上昇など世界の至る所から影響が報告され、日本でも猛暑による熱中症や豪雨災害などの問題が年々深刻になってきています。SDGsにも「気候変動に具体的な対策を」として挙げられています。

 今年度最後の授業は、テレビで気象解説を担当し、国や自治体で温暖化対策の委員も務めた岩谷忠幸先生と一緒に温暖化について考えました。前半は講義。二酸化炭素が水に溶け込む実験などを交えながら、気温の推移や将来の世界の気象について学びました。後半はグループワーク。4〜5人ずつグループに分かれて温暖化防止の取り組みについて話し合い、自分たちの考えを発表しました。

 

 授業の様子を以下に抜粋して紹介します。まず岩谷先生の講義から。           

  

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――はじめに

 おととい雪が降りました。皆さんの家の近くは積もったでしょうか。相模原周辺は5㌢以上積もりましたが、横浜、川崎はほとんど積もらず、内陸の方では少し積もった程度でした。同じ神奈川県内でも違いがあります。天気はむずかしい。予報が大きく外れることもあります。しかし、むずかしいからこそやりがいがあります。

 私は30年以上天気予報の仕事をしてきました。現在は主にテレビ局でアナウンサーなどが読む天気予報や気象災害の原稿を作ったりチェックしたりする仕事をしています。皆さんが生まれる前には15年ほど気象キャスターもしていました。

 

――2100年の天気予報

 ということで、ここで未来の天気予報をやってみます。

 

☀️ ☁️ ☔︎ ⛄️

 2100年、未来の天気予報です。今日も非常に厳しい暑さとなりました。熊谷では45.2度、名古屋で44度、横浜では41.6度を観測しました。きょうまでに全国で12万人が熱中症で病院に運ばれています。気温が30度以上の真夏日の日数は大阪で142日、横浜でも100日を超えています。

 あすの予報です。全国的に晴れて厳しい暑さになりそうです。各地で40度以上、名古屋44度、福岡42度、横浜でも42度が予想されています。

 雨が降らず農作物が枯れる被害が発生している一方で、局地的に激しい雨が降り崖崩れも発生しています。さらに南の海上には台風が発生しました。中心気圧は895hPa(ヘクトパスカル)、この後日本列島に接近し上陸する恐れが高くなってきました。大雨や暴風雨、高潮などに厳重な警戒が必要です。

☀️ ☁️ ☔︎ ☃️  

 

 どうでしょう。こんな日が現実に来ると思えますか。実は今挙げたのはいい加減な数字ではありません。このまま温室効果ガスを出し続けると2100年にはこうなると世界の研究者が予測した数字です。

 

――世界の気温上昇

 それではここでクイズです。去年の世界の年平均気温は産業革命前に比べて何度上昇したでしょうか。①1.2度、②2.0度、③4.8度の三つから選んでください。産業革命は日本でいうと江戸時代の終わりから明治の初めにかけて、だいたい140年ぐらい前になります。

 正解は①番。もっと上がっているイメージがあるかもしれませんが、実は1.2度です。②は横浜の過去100年間の平均気温の上昇幅、③は世界の2100年ごろの上昇幅です。横浜は世界平均より上がっていますが、これには都市化の影響もあります。都市は熱を吸収するアスファルトに覆われています。夏に、冷房のためにエアコンを使うことも影響しています。エアコンは外に熱風を出しているのです。

 

――何が起きているか

 温暖化によってこれまでどういうことが起きているか映像で検証します。

 

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 地球温暖化が進み、海の氷がこれまでにない速さで溶けています。北極圏の氷は2002年に日本の面積の約15倍570万平方キロメートルほどありましたが、2012年には日本の面積の6倍が溶けてしまいました。陸地を覆う氷も多く失われています。大陸の氷から流れ出す水は海に流れ込み、海水の量を増やしています。白い氷や雪は太陽の熱を反射します。氷や雪がなくなるとさらに多くの太陽の熱が陸地や海に吸収され、地球の温度がますます高くなってしまうのではないかと心配されています。

 海も温度が上がっています。暖かくなることで海の水が膨らむと海の高さが高くなります。氷が溶けたり海が温まったりして、これまでの110年間で約19センチ高くなりました。例えば海の高さが80センチ高くなってこれまでにない強さの台風が来た場合、東京湾岸では山手線内側の3分の2にあたる広さが水に浸かり21万人が被害を受けると予想されています。

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――日本はどうなっている

 日本国内の過去の最高気温は熊谷(埼玉県)と浜松(静岡県)で観測した41.1度です。横浜でも2016年に37.4度を観測し、最高気温が35度以上の猛暑日も17年に7日を記録しました。猛暑日は50年ほど前はなかったのです。最低気温が25度を下回らない熱帯夜も最近10年間で30日もありました。2100年には猛暑日が1か月半ぐらい、熱帯夜は3か月以上になると予測されています。

 また、毎年のように台風や集中豪雨で多くの人が命を落としています。日本には堤防やダムなどしっかりした防災技術と設備がありますが、それを越えてしまうのです。去年の台風14号は中心気圧940hPaで上陸しました。気圧が低いということは強烈な風が吹き、ものすごい雨を降らせるということで、このような台風が日本まで勢力が衰えないままやってくるようになりました。なぜかというと台風は海からエネルギーをもらっているからです。日本の南の海水温が以前の約28度から上がり、30度前後になる年も出てきました

 

――温暖化の原因

 ではなぜ地球は温暖化しているのか、また映像で探っていきましょう。

 

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 太陽のエネルギーの約3割は雲や雪などで反射して宇宙へ戻り、残りの7割は海や陸地に吸収されます。吸収されたエネルギーは大気へと放たれます。仮にこのエネルギーが何にも遮られず逃げていくとしたら、地球の平均気温は約マイナス19度で人が暮らしにくい環境になります。ここで大切な役割を果たしているのが大気中の二酸化炭素や水蒸気などの温室効果ガスなのです。温室効果ガスは地表から放たれる熱を吸収します。その熱はまた大気へと放たれその一部が地表を再び温めます。温室効果ガスが熱を宇宙へ逃げにくくすることで地球の平均気温を約14度に保ち、暮らしやすい環境を作り出しているのです。

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 どうでしょう。二酸化炭素は悪者のイメージが強いかもしれませんが、二酸化炭素がなかったら地球はマイナス19度になるのです。それでは人は住めません。二酸化炭素は必要なものなのです。しかし、それが増え過ぎてしまったのが温暖化の原因ということです。人は昔から二酸化炭素を出していましたが、森や海が吸収してくれていました。ところが森林がどんどん伐採されて街が都市化され、ガソリン車が走り、工場が建つようになりました。排出量は増え、吸収する量は減ってきたのです。

 

――どうすれば防げるか

 現状の温暖化対策を継続しても2100年には気温が2.6〜4.8度上がってしまいます。一方でもっと厳しい対策をとれば0.3〜1.7度に抑えられるとも言われています。地球温暖化は止められないものではなく、地球上の私たちが努力することで抑えることができるのです。

 温暖化を防ぐために、私たちにできることを考えなければなりません。考え方の一つに「緩和」と「適応」ということがあります。「適応」は温暖化による悪影響に備えること。例えば熱中症を予防するために暑い日は外での運動を控えるとか、早い避難を心がけるといったことが挙げられます。「緩和」は二酸化炭素の排出量を減らしていくこと。太陽や風などの自然エネルギーを利用する、森林を増やすなどが考えられます。この両方をやっていく必要があります。天気予報の活用も適応策の一つです。最近では台風の進路や勢力などは5日ぐらい前から正確に予測できるようになりました。予報の精度が上がると早い避難が可能になります。日頃からハザードマップで自分の居場所の危険性を知っておくこと、情報が出たらどのタイミングでどこに避難するかを考えておくことも大事です。

 それと、二酸化炭素を減らすことです。国際社会は2015年に、2020年以降の気温上昇を2度以内、できれば1.5度以内に抑えようと決めました。「パリ協定」と言います。しかし、今の生活のまま進むと2030年から50年の間に1.5度に到達してしまいます。さらに強力な対策が必要だということで、脱炭素社会ということが叫ばれています。2050年に二酸化炭素の排出量を、吸収量を差し引いて実質ゼロにしようという取り組みで、世界も日本も躍起になっています。

 

――私たちにできること

 エネルギーの問題というとむずかしく思えるかもしれませんが、身近な問題として考えてみましょう。例えばみなさんも食べるハンバーガー、材料の牛肉はアメリカ産やオーストラリア産が主流です。海外から運ぶには船にしろ飛行機にしろ二酸化炭素を出します。もう一つ、クリスマスケーキにはよくイチゴが載っています。春が旬のイチゴを、ビニールハウスで暖房を使って育て、冬に食べる。イチゴでなくても、という気がします。地産地消と言いますが、地元のもの、旬のものを食べるのがよいのではないでしょうか。こうして考えてみると、私たちにもできることはたくさんあるのです。みなさんが大人になった時に住みやすい地球であるために、次の世代の人たちに住みやすく豊かな地球を残していくために、取り組むことが重要です。

 

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 後半は16の班に分かれてグループワークです。宿題として出されていた、気象トピックが盛り込まれた未来年表をもとに、地球温暖化の防止策や備えについて話し合い、リーダー役の6年生がアイディアをまとめて発表しました。出されたアイディアをいくつか紹介します。

・海の水を淡水化し飲料水として利用することで海面上昇を抑える。

・車に太陽光パネルや風車を設置し発電しながら走れるようにする。余った電力は貯めて家でも利用する。

・全ての人が1本ずつ植物を植えることを義務化し、光合成によって二酸化炭素を削減する。

・プラスチックの使用をやめ、植林によって得た木製品を利用する。

・二酸化炭素を酸素と炭素に分解して利用する技術を確立する。

 

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<修了式>

 子ども大学よこはまの2022年度修了式が2月12日、横浜市立大学金沢八景キャンパスのピオニーホールで行われ、8期生93人(4年生27人、5年生31人、6年生35人)が1年間の学びを終えました。

 今年度は全5回の授業を全て対面で実施。実習やグループワークを取り入れた授業もあり、仲間と協力して学ぶ楽しさを体感しました。主体性をもって生き生きと学ぶ様子は新聞(10月28日読売新聞朝刊神奈川県版)でも紹介されました。

 大年美津子理事長は「みなさんにはこれから自分の考えでいろいろな選択をしながら勉強に向き合っていくという未来が待っています。この1年間、自分の意思でこの大学に通った経験を忘れずがんばってください」と激励。榊原洋一学長は「小中学校はすでに答えがわかっていることを学び、大学はまだ答えがないことを研究します。みなさんはこの場で先生の話をもとに自ら考えるという、まさに大学の授業に取り組みました。これからも常識や前例にとらわれない新しいアイディアを生かして学びを深めてください」とお祝いの言葉を述べました。

2022年度 第4回授業

   

第4回授業 「AIについて〜 何ができる? 何ができない? 〜」

11月27日(日)14:00~16:00 横浜市立大学カメリアホール(横浜市金沢区)

講師:越仲 孝文(こしなか・たかふみ)先生

 (横浜市立大学データサイエンス学部教授)

受講者76人(4年生23人、5年生26人、6年生27人)

 

 

 今や私たちの生活になくてはならないものになったAI。プログラムに従って動くマイクロコンピュータと違い、使う人の行動や好みを自ら学習してその人に合うようにカスタマイズしてくれる、さらにこれまでの経験を基に予測を立て新たなことにも対処できるという優れものです。とてもむずかしくて縁遠い技術のように思われがちですが、スマートフォンやロボット掃除機、エアコンなど案外私たちの身近なところにも応用されています。日進月歩のAIの技術革新はどこまで進むのでしょうか、そして進化に伴う弊害はないのでしょうか。越仲先生に教えてもらいました。

 以下、越仲先生の講義の要約です。

  

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――AIってなんだろう 

 きょうはAIについて説明していきますが、まず最初に「AIってなんだろう」ということを考えてみます。AIは日本語では「人工知能」と呼んでいます。「Artificial Intelligence」(アーティフィシャル・インテリジェンス)の略です。Artificialは「人工的な」「人間が作った」「自然でない」という意味、Intelligenceは「知能」「知性」「知力」のことです。ですから、「AIってなんだろう」と考えることは、「知能ってなんだろう」「かしこいってなんだろう」と考えることと同じです。「かしこい」とは何でしょう。いろいろな言い方ができるでしょうが、自ら考える「自律性」と的確な「判断力」を持っていること、と言ってもいいでしょうか。

 「AIとは」の問いに対する答えは決まっていません。AIの研究者に尋ねても、「人間とそっくりなもの」だとか「ちょっとかしこければAI」「いや人間よりかしこいものだ」など、さまざまな答えが返ってきます。何がAIで何がAIではないのか、実はよくわからないのです。ただ、AIの究極の目標は「人間」であるということは言えると思います。つまり「AIってなんだろう」とはイコール「人間ってなんだろう」という問いなのです。それを考えるのがAIを研究することです。 

 

――ここ10年の進歩 

 AIはどれだけ身近になったでしょうか。顔認証による入国審査、アマゾン・エコーやグーグル・ホームなどのスマートスピーカー、産業用ロボット、街頭監視システム、ゲームで人間を打ち負かすロボット、無人店舗などなど、いろいろ実用化されています。

 AIはこの10年で急速に進歩しました。ディープ・ラーニングという技術が発見されたからです。ディープ・ラーニングは「深い学習」という意味で、ヒトや動物の脳の働きをお手本にした技術です。ヒトの脳には100億〜180億個のニューロンという神経細胞があります。このニューロンが光、音、温度、においなどの信号を受け取って、他のニューロンに伝えていきます。外から入ってきた情報を処理して他の細胞に渡していくというこの働きを繰り返すことで人間は光や音などを認識できているわけです。これをコンピュータで真似てみたのが、ディープ・ラーニングです。

 人や動物のニューロンの働きはとても複雑ですが、それを簡単にしてコンピュータで計算できる形にしたわけです。これにより、たくさんのニューロンが協力して何回も計算を繰り返すことでいろいろな情報処理ができるようになりました。

 コンピュータで計算できるニューロンは実は1980年代から知られていましたが、当時はコンピュータに覚え込ませる大量のデータがなく、それを処理できる強力なコンピュータもありませんでした。しかし、インターネットの発達でデータが飛躍的に増えコンピュータのパワーも上がって、約10年前にディープ・ラーニングが誕生したのです。

 

――AIはどう学習するか

 では、AIはどのように学習するのか、「強化学習」というタイプのもので実際にその様子を見てみましょう。マス目の中にヤギAIがいて、一番離れたマス目にエサになる牧草があります。そして途中のマス目にはオオカミがいて邪魔をします。ヤギAIはどう進んだら牧草を食べられるでしょうか。①上下左右に動ける②オオカミにぶつかったら減点③草にたどり着けたら得点――というルールのもとで動かしてみます。すると、最初のうちはすぐにオオカミにぶつかってしまいますが、何回も繰り返すうちにオオカミの近くのマス目を避けるようになり、ついに失敗しなくなります。

 このようにAIは最初は何もわかっていません。もともと知識はないし常識もないのです。そこから何度も何度も試行錯誤を繰り返すことで学習していきます。学習の方法は人間が書いたプログラムによって与えられます。つまりAIの実態はプログラムなのです。ずいぶん手間のかかることをしているように思えますが、このヤギAIと同じ技術が自動運転や外科手術ロボットなどにも応用されているのです。

 

――AIは人間を超えるか 

 最近は、囲碁将棋で人間に勝利するなど、AIは人間を超え始めたとも言われます。そのうちに人間の仕事はAIに奪われるのではないかという声もあります。少し前までは、頭を使わない単純な作業は奪われるが、研究開発や芸術などのクリエイティブな仕事は奪われないと言われていました。しかし、今日では人間が解けなかった数学の難問を解けるAIが登場し、絵を描くAIの技術も向上してきています。 

 人間がAIに支配される日は果たして来るのでしょうか。アメリカの未来学者は、2045年ごろにAIの知能が高まって自分で学習する能力を持ち始め、人間を超える「超知能」になると予想しました。これを「シンギュラリティ」と呼びます。この予想を信じる人は多いのですが、研究者の大多数はシンギュラリティはそう簡単に起こらないとみています。近い将来においても難しいと思い ます。

 

 ――AIのはじまり

 コンピュータの誕生は1946年、アメリカ陸軍が開発したエニアック(ENIAC)が第1号と言われています。高さが2.5メートル、幅が24メートルという巨大なもので、消費電力はエアコン60台をフル稼働させられる17万キロワット。1秒間に500回の演算ができる処理速度でした。現代のスマートフォンの処理速度は1秒に4000億回ですから、エニアックの約8億倍です。1949年にはアメリカの数学者がコンピュータを使ってロシア語を英訳するアイデアを思いつきました。グーグルの翻訳機能につながるアイデアです。そして1956年に10人の研究者が2か月間にわたって「高い知能を持つ機械を作る」というテーマで議論し、そこでこの研究分野の名称が「人工知能」と決まりました。

 

――会話するAI

 人間と会話ができるということはAIの究極のゴールの一つです。会話型AIは音声認識、自然言語処理、音声合成という3種類のAIの協力で成り立っています。音声は空気の振動ですが、AIはこれを認識し、文字テキストに変換したうえで適切な応答を見つけ出し、それを音声に合成するのです。この機能を使ったのが、初の実用的な会話型AIであるアップルのシリや、ディープ・ラーニング技術を使った最先端システムのグーグルのデュプレクスです。

 音声なしで文字だけでやり取りするチャットボットも近年実用化が進んでいます。最先端のチャットボットとしては2021年に発表されたグーグルのラムダがあります。ディープ・ラーニングで大量のデータを学習し、ほとんどどんな会話にも対応できます。グーグル社内でテストを担当したソフトエンジニアによると、ラムダは「電源を切られて死ぬのはこわい」と話したそうです。このエンジニアは「ラムダには人間と同じように意識や感情がある」と述べています。  

 会話するAIは今や色々な場面で人の役に立っています。最先端のものは人間に近いレベルまで来ているのです。

2022年度 第3回授業

第3回授業 「横浜中華街の成り立ちと歴史」

9月25日(日)14:00~16:00 横浜市技能文化会館多目的ホール(横浜市中区)

講師:伊藤 泉美(いとう・いずみ)先生

 (横浜ユーラシア文化館副館長、日本華僑華人学会会長)

受講者 70人(4年生23人、5年生21人、6年生26人)

 

 横浜を代表する飲食街で人気の観光スポットでもある中華街。異国情緒あふれる街並みと軒を連ねる中華料理店は、いつもたくさんの人でにぎわい活気にあふれています。学生を対象にした事前アンケートでも9割が「行ったことがある」と回答しました。だれもが親近感を寄せる中華街ですが、全国どこにでも存在するわけではありません。ではなぜ横浜には中華街があり、今も多くの人をひきつけているのでしょうか。第3回授業は、横浜中華街の調査研究を続けている伊藤泉美先生を講師に迎え、その理由を探りました。

 以下、先生の講義の要約です。

  

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 中華街というと街歩きをしたりご飯を食べに行ったりというイメージが強いと思いますが、きょうはちょっと視点を変えて、どうしてここ横浜に中華街があるのかということをみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

 

 古い写真が残っています。上の方に「大同学校」の文字があって下にたくさんの子どもたちが並び、真ん中に先生らしき人が写っています。明治時代、1912年の中華系の学校の卒業式の写真です。中華街には当時から学校があって子どもたちはそこで勉強していました。現在も中華系の学校が2校ありますが、どちらも100年以上の歴史をもっています。中華街は、皆さんにとってはご飯を食べに行ったり遊びに行ったりする街ですが、中国系の人たちにとっては“学ぶ場所”でもあるのです。きょうはそうした中華街のいろいろな面を紹介していきます。

 

――横浜に中華街はなぜあるのか

 日本では横浜以外のどこに中華街があるか知っていますか。神戸と長崎です。この3か所の共通点は、外国につながる港があるということですね。まずはそのポイントを押さえておいて、横浜中華街についてもう少し細かくみていきましょう。

 

①横浜の開港と外国人居留地

 最初に、日本の開国と横浜の開港についてみていきます。みなさんはペリーというアメリカ人の名前を聞いたことがありますか。江戸時代に日本にやってきて開国を求めた人物です。ペリーは横浜沖に黒船を泊め、小船に乗り換えて上陸してきました。現在の象の鼻パークが上陸地点とされています。今の開港資料館や県庁、そして中華街も近くですね。ペリーがやってきて横浜が開港された、そのことがこの場所に中華街が誕生する第一歩になります。

 外国の圧力に押された日本の幕府は、横浜、神戸、長崎と函館、新潟の5か所を開港することにし、そこに外国の人たちがやってくることになりました。外国人はどこにでも住めたわけではありません。住んでもいい場所は幕府と外国政府との間で取り決められていました。「外国人居留地」と言います。横浜の場合は現在の山下町、山手町、日本大通りのあたりでした。居留地だったころの地図と今の地図とを見比べると、山下町はほとんど区画が変わっておらず、真ん中に位置する中華街もほぼ同じです。当時の居留地の写真を見ると、外国のような街並みで看板は英語だらけです。

 

②貿易の仲介者

 では、そこになぜ中国の人たちがやってきたのでしょう。居留地が開かれるとそこで外国商人との貿易が始まります。アメリカの商館の様子を描いた浮世絵があります。当時の浮世絵は今でいうニュースのような役割もありましたが、外国のような珍しいまちだった横浜を描いた浮世絵は「横浜絵」と呼ばれて飛ぶように売れました。この商館の浮世絵にかなりの数の中国人が登場しています。数えてみたら約30人中10人が中国人でした。もちろんアメリカ人もいますが、ご飯を食べているだけで仕事をしているようには全然見えません。一方で、中国人と日本人が算盤(そろばん)を弾いて何やら話している様子が描かれています。アメリカの商館なのに実際の商売の話は日本人と中国人がしていたことがわかります。幕末の外国商館の写真にもやはり中国人が写っています。中国人は、日本人とアメリカなどの外国人との間に立って通訳のような役割を果たしていたのです。外国商館の人たちは、日本にやって来る以前、日本より早く開国した中国で貿易の仕事をしていました。そこから商売を広げようと開国した日本にやってきたわけですが、なんとしても失敗したくない。そこで日本人と同じ漢字を使い、重量やお金などの単位にも通じている中国人を連れて行けば、日本の商売人と話が通じやすいのではないかと考えたのです。ですからアメリカに限らず、フランスもオランダもイギリスも、どの国の商館も中国人を連れてきました。当時、横浜から一番多く輸出されたのはお茶です。生産者はお茶を栽培する静岡などの日本人、輸出するのは欧米商館の人たち。しかし、両者は言葉が通じず、このままでは海外に物を売ることはできない。その時に真ん中に立ったのが中国人だったのです。

 横浜で貿易が成功したのは、日本人と欧米人と中国人、それぞれ違う能力を持った人たちが集まったからこそだったのです。同じ考え方の人とグループを組むのは楽なことですが、実は違う考え方をする人や異なる能力を持つ人と手を組むと、より面白いこと、新しいことができるのです。このことは皆さんもよく覚えておいてください。違う考え方の人が集まると当然争いも起こるのですが、その時はなぜ自分と違う考え方をするのかということを考えてみてください。ということで、中国人は西洋人と日本人とが貿易活動を行ううえで仲介者として必要不可欠な存在だったということがわかりました。

 

③欧米居留民の暮らしを支える

 もう一つ役割がありました。海岸通り(今の山下公園通り)の絵葉書を見ると、中国人の名前が書かれた洋裁店が2軒写っています。また、今から130年前には今の中華街に600人ほどの中国人が住んでいましたが、その頃の写真には靴製造などの看板も見えます。欧米人は洋装ですが、当時、日本に洋服を作れる人はいませんから、上海や香港で洋裁や靴作りの技術を身につけた中国人が必要だったのです。少し時代が下ると、欧米人が住む洋館を造る建築・塗装業やピアノなどの洋楽器製造、印刷といった職人たちも住み始めます。つまり中国人は欧米居留民の衣食住を支える存在でもあったわけです。そして、それらの中国人たちが西洋の新しい技術を日本に伝える役割も果たしたのです。商人や職人として横浜にやってきた中国人が居留地の一角に住んで中華街ができあがっていった過程がこれで理解できたと思います。

 

――中華街の文化

 中国の人たちが暮らしてきた中華街には独自の文化があります。まず二つのお祭り「春節」と「関帝誕」です。「春節」は中国の旧正月のことです。もう一つの「関帝誕」は中国人が尊敬する武将・関羽の誕生日を祝う中華街最大のお祭りです。その関羽を祀(まつ)る関帝廟(びょう)は横浜開港から3年後の1862年に華僑の人たちによって開かれました。故郷を遠く離れて知らない土地で仕事をすることはとても不安だったでしょうし、商売がうまくいくようにという願いもあったでしょう。そうした華僑の人たちの心の拠り所として、関帝廟は造られました。今の建物は4代目です。3回壊れてその度に造り直しています。中華街の人たちがどれほど大事にしてきたかがわかりますね。この二つのお祭りですが、1913年に出版された「横浜年中行事」というガイドブックに載っています。2月の欄に「中華民国の正月」というのが出ていて、これは春節のことです。6月の欄には「中華関羽祭」とあって関帝誕のことです。今から100年以上前にすでに中華街の祭りが認識されていたのです。

 関帝廟をめぐってはここ数年でいくつか大きな発見がありました。2019年には横浜中華学院の校舎移転工事で地面を掘り返したところ、石畳の通路が出てきました。長さが40㍍ぐらいあって先端に階段がありました。なんだろうと思って現地へ行き調べました。移転先は関帝廟の隣接地で、この階段は初代の関帝廟の建物の一部だったことがわかりました。中華街の地下からは歴史を物語るものがたくさん出てくるのです。

 中華街には牌楼(ぱいろう)という門が建っています。東西南北にそれぞれあって、真ん中には善隣門があります。中国の古い考え方では、東西南北には意味があり、神様である獣―東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武―が、中華街に悪い空気が入ってこないように四方を守っているのです。

 華僑の人たちの墓地も長い歴史を持っています。最初は山手の外国人墓地の一角にあったのですが、そのころは「帰葬(きそう)」という習慣が残っていました。昔の中国の人たちはたとえ海外に出たとしても生まれ故郷に戻って死ぬのが幸せと考えていて、故郷以外の場所で亡くなった場合は遺体を故郷に送り返して埋葬するという習慣があったのです。ですから横浜のお墓はあくまで仮の安置所という位置付けでした。現在は「帰葬」の習慣はなくなって、横浜の墓地が永眠の場所です。今の華僑の人たちには横浜のまちが仮のすみかから永住の場所に変わったということで、横浜生まれの華僑が増えて横浜がふるさとになったとも言えるでしょうか。

 

――中華街に生きる人々

 今の中華街にはどんな人たちが暮らしているでしょう。何人か紹介します。

 1人目は、雑貨店を営む社長さんで、日中の心を併せ持ったビジネスウーマンです。彼女は1972年に中国の内蒙古自治区で生まれました。彼女のおばあさんは横浜出身の日本人で戦前中国東北部に渡りタイピストなどをしていましたが、ソ連侵攻で戦後も日本に戻ることができず、現地で日本に留学経験のある中国人と結婚、その後も中国で暮らしました。こうした人たちを「中国残留夫人」と言います。1972年、日中の国交が回復したのを機に日本に帰国しました。その一家が来日したのは、彼女が8歳の時です。公立の小学校に通いましたが、中国で生まれ育ったために日本とは習慣の違いがあり、学校でずいぶんいじめられたそうです。そんな経験から自分の中の中国的なものを表に出さないようになり、中国語も完全に忘れてしまいました。大学卒業後貿易商社に就職しましたが、内蒙古出身ということで中国担当になり、あらためて中国語を猛勉強したということです。彼女のように中国の東北部生まれでやってきた華僑の人たちも暮らしています。

 2人目は、1940年生まれのダンディーな“はまっこ”です。彼は、幼少期に横浜で戦争も体験しています。そして、家業を手伝い中華料理店のグループを成長させるとともに、横浜中華街の教育にも力を入れてこられました。彼に中華街はどんなところですかと尋ねたら、「臍(へそ)の緒がつながっている場所」という答えが返ってきました。お母さんと赤ちゃんの関係のようなのですね。

 3人目は、東京都内の大学教授をしている女性です。彼女は1972年に横浜で生まれましたが、一時は無国籍で苦労されました。彼女の家族は中華民国の国民として中華街で暮らしていたのですが、日中国交回復により日本と台湾との国交が断絶したため、日本の法律上は国籍を失ってしまったのです。日本か中華人民共和国か、どちらの国籍を取るか迷ったのですね。現在は日本国籍を取得しています。今もNPOを立ち上げて国籍のない人たちを支援する活動を続けています。

 最後は、1959年、中華街生まれの日本人実業家です。ルーツは100年以上続く老舗(しにせ)のお肉屋さん。彼は現在も横浜中華街の組合で理事長を務めています。中華街は中国人だけの街と思いがちですが、そうでもないのです。肉や魚、野菜といった生鮮食料品は日本人が生産していましたから日本人も多く住んでおり、日本人が経営するお店もあったのです。中華街には隣人として家族として日本人も溶け込んで暮らしていたわけです。

 

――まとめ

 横浜中華街は日本開国の頃から歴史を刻んできたまちです。中国の人たちは西洋人と日本人との仲介者、西洋の近代技術の伝達者としての役割を果たすことでまちと社会を作り上げ、今日まで維持してきました。

 中華街から学べるのは、横浜には中国人に限らず、このまちをふるさとと思って生活しているいろいろな民族の人たちがいるということです。横浜が国際都市と呼ばれるのは、世界と貿易をしているからではなく、国籍を超えた人たちがこのまちをふるさとと思いともに暮らしているからだ、ということを覚えておいてください。

2022年度 第2回授業

第2回授業 「薬の作用と正しい使い方を学ぼう」

8月7日(日)14:00~16:00  横浜市立大学カメリアホール(横浜市金沢区)

講師:木津 純子(きづ じゅんこ)先生

 (前慶應義塾大学薬学部教授、薬学共用試験センター、薬剤師)

受講者 66人(4年生21人、5年生19人、6年生26人)

 

 第2回授業は、病気やケガの時にだれもがお世話になったことのある「薬」について勉強しました。

長年病院の薬剤部に勤務し、大学で教壇にも立ってきた木津純子先生が、薬剤師の仕事の実際を紹介しながら、薬とはどんなものか、どう使えばいいのかについて、わかりやすく講義してくれました。授業の後半では実習の時間が用意され、全員で粉薬を包む薬包紙の正しい折り方に挑戦、コロナ禍で手放せなくなったマスクの効果的な付け方も学びました。授業後に行った学生アンケートでは「新しい薬をつくる大変さを初めて知った」「薬の飲み方を間違えないようにすることが大事だと分かった」などの感想に混じって、薬剤師という職業に関心を寄せる声が目立ちました。

 以下、先生の講義を要約して紹介します。

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 今日は薬剤師の仕事について触れながら、薬とはどんなものなのか―こわい部分もあれば、非常に役立つ部分もありますのでその辺のお話をしてみたいと思います。

 

――薬ができるまで

 新しい薬を作るには長い時間がかかります。まず基礎研究に3~4年かかります。たとえばこの物質は熱を下げるはたらきがあるのではないか、痛みをとるのに役立つのではないか、ということを理論的に研究する段階です。次いで動物で効き目を確かめる非臨床試験に3~5年。それからヒト、大体は若い健康な男の人ですが、実際にヒトを対象にした臨床試験を3~7年。そこで効果が確かめられて初めて承認申請をして審査を受ける、という流れです。ですから一つの薬を作るのに、全部で10年から15年ぐらいはかかるんです。費用も大変です。薬によっていろいろですが、200億円ぐらいでしょうか。

 薬に限らず、新製品、新商品はたくさん生まれています。たとえばお菓子なんかは、今どんな物が人気があるかというような市場調査をして、どうでしょう1、2年ぐらいで新商品が出てくるのではないでしょうか。薬はそれにくらべて膨大な時間と費用がかかります。

 ヒトの臨床試験は治験と呼ばれますが、被験者である患者さんを二つのグループに分け、片方にはすでに効果が確認されている既存の薬を、もう片方には新しい薬を投与するという方法で行います。薬を飲む患者さんたちも治療にあたる医師たちも、どちらのグループが新薬を使っているのか知りません。この方法を「二重盲検(にじゅうもうけん)」と言います。そのうえでどちらの薬がよく効いたかなということを調べます。こうして初めて新しい薬ができるのです。

 ひとつだけ代表的な薬の話をしましょう。ペニシリンという抗菌薬です。皆さんも聞いたことがあるかな。フレミング博士がブドウ球菌を培養しているとき、カビの胞子がたまたま皿に落ち、その周りの菌が溶けていくのに気がついた。青カビから偶然見つけた抗生物質です。1928年のことです。このペニシリンのおかげで第2次大戦中に多くのけが人が助かり、1945年にノーベル賞を受けました。

 さて、ここまでの話で薬と他の商品の違いが見えてきましたね。つまり薬は、①はたらきが人間のいのちにつながる。上手に使えば人を救えるが、使い方を誤ると人を死なせることにもなってしまう②量がはたらきと関連するので品質を一定に保たなければならない。同じ錠剤で量にばらつきがあってはいけない③値段や宣伝などが法律で厳しく規制されている。テレビで色々な薬のコマーシャルが流れるがあれは市販薬で、病院でもらう薬は宣伝してはいけないことになっている④取り扱いに高い専門性が必要―ということです。

 

――薬剤師の仕事

 薬剤師は薬の専門家として、病院やまちの薬局で医師の書く処方箋に基づいて調剤をしたり薬を売ったりしています。でも仕事はそれだけではありません。新しい薬をつくる仕事もあります。そのために企業の研究所に行っている人もたくさんいます。それから患者さんに一番合った薬を選ぶ、たとえば血圧を下げる薬は何十種類もありますが、その中でどれがその患者さんに最も適しているかということを考えます。それから正しいのみ方や使い方を教える、効果と副作用を確認する・・・・・・と、やることはたくさんあるのです。

 私がかつて仕事をしていたのは、東京大学医学部附属病院分院の薬剤部というところです。病床数260床ほどのわりと小さい病院でしたが、世界で初めて胃カメラを開発したことで知られています。ここに25年間いました。最初は調剤です。それからいろいろ薬について調べて医師にその情報を提供する仕事、それから院内で薬をつくる製剤の仕事、ほかにも医薬品試験、医薬品管理、そして病棟業務と、さまざまな部署で多くのことを経験しました。

 薬をつくるということでは、こんなことがありました。お腹に帯状疱疹(たいじょうほうしん)ができた患者さんがいました。最初赤いぶつぶつが出てきて水ぶくれになり、かさぶたになるというふうに進行するのですが、この症状が治まった後まで痛みが残ってしまいました。帯状疱疹後神経痛という病気で、電気が走るような、針で刺すようなすごい痛みを伴います。今は薬を飲むことで抑えることができますが、当時は薬がなくて神経痛になってしまう人が多かったんです。薬剤部に「痛みをなんとかできないか」と医師が相談に来る。そこで考えたのがアスピリンです。アスピリンは何百年も前からある、痛み止めと熱を下げる薬ですが、飲み薬しかありませんでした。そこで自分たちで基剤に飲み薬を混ぜて塗り薬のアスピリン軟膏(なんこう)をつくりました。患部に塗ってガーゼを当て、ラップで覆(おお)って30分ほどしたら痛みが消えました。患者さんと医師からとても感謝されました。院内製剤と言いますが、こんなふうに患者さん一人ひとりのために薬を作ってしまうこともあるんです。

 

――患者から学ぶ 

 ベッドサイドに行って入院患者さんといろんな話もします。患者さんから学ぶこともたくさんあります。やはり分院に勤めていた頃、婦人科系のがんで入院されていた71歳の患者さんがいらっしゃいました。抗がん剤を使っている影響で白血球がどんどん少なくなってしまって、さまざまな菌に感染しやすい状態になっていました。本人も非常に気をつけていたのですが、やはり感染してしまい急に熱が出ました。医師から相談を受けて次はどんな薬を使えばいいのか、ずいぶん考えました。抗がん剤の治療はものすごくつらいんです。そして、そんなつらい思いをしても100%治るわけではありません。

 ある時その患者さんが私に言うんです。「一つだけやり残したことがある。どんなつらい治療も我慢するからどうぞ助けてください。なんとしても退院したいんです」と。やり残したことというのは、「精一杯おしゃれをして、主人ともう一度温泉旅行に行く」ことでした。その後状態がやっと落ち着いて退院することができました。しばらくして外来を受診した際に薬剤部を訪ねてきて「信州の温泉に行ってきました。本当によかった」と話してくれました。ウイッグをつけ、素敵なワンピースを着ていらっしゃいました。この患者さんはそれから半年ほどして再入院になり、亡くなりましたが、つらい治療でも目的を持つことで頑張って続けられるんだ、ということをこの患者さんから教えられました。

 薬剤師は薬という「モノ」について勉強しますが、それは患者さんという「ヒト」を勉強することにも通じるんですね。患者さんから学んだたくさんのことを、これからは新しい薬剤師を育てるために生かしたい―そう思って私は大学教員の道に進むことにしました。

<実習では薬包紙の包み方に挑戦。最後がむずかしく、木津先生から直接手ほどき>

 

――薬剤師になるには

 現在国内には薬剤師になるための大学・学部が79あります。薬学教育は6年制で、4年の時に薬学共用試験というものを受けます。これに合格しないと病院や薬局など現場での実習に行くことができません。実習に行く前には白衣を授与する「白衣式」というものをやります。そして卒業後に行われる国家試験をパスして初めて薬剤師になれます。薬剤師は生涯有効な国家資格です。薬というきれいなものを扱うのと、国家資格が得られていつでも薬局などで働けるということで、女性の割合が非常に高い仕事です。

 薬学部では学生と一緒に実験や研究もします。たとえば「経皮マイクロ投薬システム」という、小さな突起がたくさんついた貼り薬をワクチンに応用する研究もしていました。皆さんの中にもコロナのワクチンを打った人がいると思いますが、あれは筋肉注射ですね。ワクチンを薬の瓶からシリンジ(注射器の筒)に詰め替えるのは薬剤師の仕事ですが、ひとつの瓶から5、6人分の小さなシリンジに正確に分けていくというのは、とても大変な作業なんです。貼り薬なら簡単だし、それに注射のように痛くない。コロナのワクチンも貼り薬ならいいですよね。この研究は今も継続しています。どの職業にも言えることですが、なんのためにこの仕事をするのか、目的をしっかり考えたうえで仕事に取り組める薬剤師になることが大切だと思います。

 

――薬の効き方

 薬はどうやって効くのか、その仕組みについて考えてみましょう。薬は体の中でどんな道すじをたどるでしょうか。飲んだ薬は食道から胃、十二指腸、小腸に送られ、その間に消化管から吸収されます。そして門脈という血管を通って肝臓に入り、血液に取り込まれて全身に運ばれ、薬の作用を発揮します。役目を終えると肝臓にもどって体外に出やすい形に変化し、排泄(はいせつ)されます。血液が体をぐるっと一周する時間は

1分ぐらい。飲んだ薬が胃や腸で溶けて効き目が出てくるのはだいたい20分から30分後、と考えていいでしょう。

 薬は1日に飲む回数(用法)と1回に飲む量(用量)が決められています。これは薬の効き目が血中濃度によって左右されるため、最も効果的に働くように計算されているのです。決められた量より多く飲めば血中濃度が上がって副作用が起きやすくなります。逆に少ないと濃度が下がって効き目があらわれません。いつ飲めばいいかも指示されていますね。「食前」は食事をする30分から1時間前、「食後」は食事をしてから30分以内、「食間」は食事と食事の間のことですから前の食事をとってから2時間後ぐらいというのが目安になっています。薬がその効果をきちんと発揮するためには、指示をきちんと守らなければならないんです。

 薬(クスリ)は反対から読むと「リスク」になります。用法と用量を守って、正しく使うことがなにより重要です。

2022年度 入学式・第1回授業

<入学式>

 2022年度の入学式が6月12日、横浜市立大学金沢八景キャンパスのカメリアホールで行われました。開校8年目の今年は、横浜市内外48の小学校から4年生27人、5年生31人、6年生35人の計93人が入学。この日は、81人が出席しました。

 式では、大年美津子理事長が、「みなさんはいつもは小学生ですが、今この場では大学生です。通常は小学校から中学、高校と段階を踏んで大学生になるわけですが、この子ども大学で少し先回りして、大学とはどんなところなのかを少しでも理解できるようになるといいなと思います」と新入生を歓迎。続いて榊原洋一学長が、「皆さんが通う小学校では、もうすでに知っていること、わかっていることを学びます。大学は、それに加えて、まだ誰も知らないことを勉強し研究します。自ら進んでこの大学に集まったみなさんには、想像力と探求力を身につけて未知の課題を解決し未来の世界を創る人になってほしい」と激励しました。

 今年度は来年2月まで、薬の作用や中華街の歴史などについて学ぶ計5回の授業が予定されています。                

第1回授業 「国際医療協力のおはなし」

6月12日(日)14:30~16:30  横浜市立大学カメリアホール(横浜市金沢区)

講師:子ども大学よこはま 学長 榊原 洋一先生

 (チャイルドリサーチネット所長、お茶の水女子大学名誉教授、日本子ども学会理事長、医学博士)

受講者:81人(4年生27人、5年生25人、6年生29人)

 

 2022年度の幕開けの授業は、学長の榊原洋一先生による「国際医療協力のおはなし」。パキスタンやネパール、ガーナなど、先生が実際に医療協力で訪れた国々の医療の実情を写真やエピソードを振り返りながら学び、本当の国際協力のためにどんな支援が必要なのかについて考えました。

 先生の講義の概要を以下に紹介します。

 

☆☆☆☆☆

 

 世界にはいろいろな国があります。医療をとってみても、国によってはお医者さんがいるがその数が少ないとか、薬や医療機器が十分でないとか、国ごとに事情があってみな同じではありません。この日本は世界で一番恵まれている国です。

 

――乳児死亡率でみる世界の医療

 日本の乳児死亡率(出生数1千人当たりの生後1年未満の死亡数)の推移をみてみます。1899年のデータですが、最初は150人ぐらい。生まれた赤ちゃん1千人のうち150人が1歳の誕生日を迎える前に亡くなったということです。1919年はスペイン風邪の流行で200人近くに上りました。それが、だんだん衛生状態がよくなり医療技術の進歩もあって減少し、今ではほとんどゼロに近づいています。生後4週間までの新生児死亡率は2017年で0.9人です。

 それでは他の国はどうかというと、日本の0.9人に対し、韓国は1.5、アメリカは3.7、中国は5.1です。もっと見ると、ネパールは58、アンゴラは131、アフガニスタンに至っては143という日本の明治維新のころとほぼ同じ数値です。

 なぜこんなに違いがあるかというと、アフガニスタンは長い内戦があり、病院も医師も少ないのです。交通機関もないので、病院に着くまで命がもたないということもあります。アメリカも結構数値が高くなっていますが、これには全人口2.5億人のうち2千万人が医療保険に加入していないという事情があります。医療費が払えず、病院にかかれないのです。アフリカの国々でも医師はちゃんと勉強していますが、数は圧倒的に少ない。

 医学の知識は世界中同じなのですが、このようにさまざまな事情で医療を受けられない人がまだまだたくさん世界にはいるのです。国際医療協力はこうした現実を踏まえて、世界中のだれもが医療の恩恵に与(あずか)れるようにしよう、そのためにみんなで助け合おう、ということなのです。

2021年度 第5回授業・修了式

「脳外科医になったら~脳神経のしくみと病気、手術のお話~

 3月5日(土)14:00~16:30  横浜市立大学 金沢八景キャンパス カメリアホール

 講師:山本 哲哉やまもと てつや)先生 

    (横浜市立大脳神経外科学主任教授・同大附属病院副病院長

  

 2021年度最後の授業は、脳外科医の仕事について学びました。病院には対象とす

            る患者や身体の部位、病気・けがの種類よってさまざまな診療科が置かれていますが、

            山本先生の専は脳神経外科。脳・脊髄(せきずい)・神経を診断し治療する診療科で、

            脳卒中などの脳血管障害、頭部外傷、脳腫瘍(のうしゅよう)などの診察や手術を行っ

            ています。

             この日の授業では、学生たち自らが“医師”になり、山本先生の指導のもとで神経の障

            害を調べる検査の実習を行い、患者の症状から病気の原因を探る“診断”にも挑戦しまし

            た。

                         ☆☆☆   ☆☆☆  ☆☆☆   ☆☆☆

 

          ――脳卒中のサイン「FAST

          授業ではまず、脳卒中を見極める「FAST(ファスト)」というキーワードを教わり

         ました。F」はフェイス(Face・顔)、「A」はアーム(Arm・腕)、「S」はスピ

         チ(Speech・話こと)。口がへんにゆがんでいないか、左右どちらかの腕に麻痺

         (まひ)()はないか、言葉を普通に話せているか――をみます。この「FAS」の症状がひ

         とつでも出ていれば脳卒中の可能性が高いということになります。最後の「T」はタイ

         ム(Time・時間)。これらの症状があったら「すぐに病院へ」ということを警告して

         います。発症から治療開始までの時間が重要なのです。       

――実習で検査を体験

 「FAST(ファスト)」の「A」、腕の麻痺を調べる方法に「バレーサイン」があり

ます。どんな方法なのか、学生同士でペアを作り、山本先生の指導に従って実際に体

験してみました。まず座って目を閉じ、手のひらを真上に向けて両腕を前に水平に差

し出します。そしてそのままの姿勢を維持してもらいます。麻痺がある場合は、麻痺

している側の手のひらが自然に内側に回転し、腕がしだいに下がってくるのだそうで

す。

         ほかにも、神経の異常を調べる膝蓋腱反射や、アキレス腱、上腕二頭筋、上腕三頭筋

         の反射、黒目に光を当てて、瞳孔の収縮をみる対光反射などの実習も行いました。

 

         ――診断にチャレンジ

          さて、いよいよ病気の診断にチャレンジです。まず山本先生から次のような症例が

         提示されました。

 

         【患者47歳】

         6か月前から疲れると物がダブって見え、目薬をさしていた。2週間前、右目が外に寄っ

         ているのに家族がきづいた。けさになって右目は内側・上側・下側にはほとんど動かな

         い。左目は正常。高血圧で内服治療している。             

 右目の異常の原因はどこにあるのか・・・学生たちはこの日学んだ知識を総動員し

て、病気の解明に挑みます。

 ・バレーサインや反射検査の結果は正常。

 ・仮に脳出血なら発症した途端に意識をなくして倒れたりするはずだから、このケ

  スはあたらない。

 ・右目は外側しか向けない。目を動かす動眼神経があやしいのでは。 

 ・動眼神経はどこをどんなふうに通っているのか、系統図を調べてみよう。

              ・両目でなく右目だけに影響が出ている。動眼神経のどの部分が悪いのかな。

 

              山本先生と学生たちは、いろいろな可能性を一つずつ検討しながら徐々に原因を絞り

            込んでいきます。そして、動眼神経に接して走る内頸動脈の存在に気づきます。実は、

            内頸動脈にこぶ()ができて、動眼神経を圧迫していた、というのが正解でした。

            脈瘤を引き起こしやすいとされるのは高血圧。内服治療も大きなヒントだったわけで

            す。 

         ――まとめ 

              授業の最後に山本先生は、①勉強することはいっぱいあるが、むずかしいことでもチ

             ャレンしてみよう。そうすれば少しずつ自分の力になる②練習、訓練を続けよう。一

             番になる必要はない。自己ベストを目指そう③「楽しい」「おもしろい」を大切に。そ

             の気持ちをいつまでも持ち続けよう――と呼びかけました。

              医学用語も混じえての高度な授業でしたが、学生たちは正しい診断を導き出すために  

             はしっかりした知識と論理的な考え方が大切だということを学び、これまで以上に医療

             への関心を高めたようでした。  

<修了式>

 第5回授業終了後、2021年度子ども大学よこはまの修了式を行いました。1年間の学

びをまっとうした7期生(45人)に修了証が授与されました。

 新型コロナウィルス感染症の拡大が収まらず、授業は最初の3回をオンラインで、4、

5回目は感染対策を講じ対面授業で行いました。仲間と一緒に学ぶ対面授業はやはり楽

しそうでしたが、オンライン授業も新しい学びの可能性を広げてくれました。

              大年美津子理事長は1年を振り返り、「みなさんは実際は小学生ですが、ここは仮想

             大学です。ですから私たちは”大学生”のみなさんに向けて授業を用意してきました。こ

             の大学でいろいろなことを知り、驚き、そして楽しく学んだことを、自分の可能性を広

             げるために役立ててください」とあいさつ。

              榊原洋一学長は「みなさんにはこれからもずっと学ぶ機会がありますが、『楽しい

             な』『おもしろいな』と思う気持ちを持ち続けてほしい。たくさんの難しい課題がみな

             さんの未来にも待っていますが、それを解決する力はみなさんの中にあります。ここで

             の学びの経験を活かして、いつか地球を救うような人になってほしいと思います」と激

             励の言葉を贈りました。

2021年度 第4回授業・入学式

「落語の世界~想像力とコミュニケーション~」

 11月13日(日)14:00~16:00  横浜市立大学 金沢八景キャンパス カメリアホール

 講師:立川 晴の輔たてかわ はれのすけ)先生 (落語立川流 立川志の輔一門)

  

 第4回授業は、新型コロナウィルスの感染が落ち着いたことを受け、今年度初めて対面

式でわれました。

 講師にお迎えしたのは落語家の立川晴の輔先生。出囃子に乗って登場し、教壇ならぬ

座から、落語の醍醐味や楽しみ方について解説しました。学生たちは開始早々から軽

妙な語り口に引き込まれ、本格的な古典落語の実演や質疑応答の掛け合いを交えながら 

進められる授業に目も耳も釘付けに。会場は終始大きな笑い声に包まれました。落語を

            楽しむには「自ら進んで聞こうとする力」と「想像力」が大切ということを実際に体験

                                 し、「コミュニケーションをとるのにも、同じく『聞く力』と『想像力』を働かせて」

                                 という立川先生の言葉に、学生たちも大きくうなずいていました。

             対面ならではの、にぎやかで活気あふれる授業でした。

<入学式>

  2021年度の入学式が、11月13日、横浜市立大金沢八景キャンパスのカメリアホール

  で開催されました。今年度は新型コロナウィルス感染症の影響でここまで3回の授業をオ

  ンラインで行ってきましたが、感染拡大が落ち着いたため、第4回授業に合わせ一堂に会

  して開催したもので

  式には今年度の受講生70人(4年生30人、5年生17人、6年生23人)のうち37人が出

  席。榊原 洋一学長が、「イノベーションには三つの心構えが重要だと言われています。

  他人を思いやり共感すること、遊ぶこと、そして楽観主義です。これらのことを大切

  て、新しい考えや行動につなげてください」と激励しました。

             式は事前の検温・体調チェックや会場の換気、消毒など感染予防対策を徹底して進めら

                                    れました。学生たちはこの日が学友たちとの初めての顔合わせでしたが、授業終了後に

            は記念撮影も行われ交歓を深めました。


2021年度 第3回授業

「南極から ちきゅう を観る」

 9月26日(日)14:00~16:00  Zoom(オンライン)

 講師:永延 幹男(ながのぶ みきお)先生 (自然哲学者)

 

地球はいま悲鳴を上げています。二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの濃度が高まって地球の 

表面温度が上がり、その影響で生態系が乱れ、海面が上昇し、異常気象が多発しているのです。

            地球に暮らす私たちにとってもっとも深刻で、かつ身近な問題です。第3回の授業は、南極海で

            生物資源の調査研究を続けておられる永延先生をお迎えし、南極の自然環境の変化について、た       

            くさんの写真や図表もまじえてわかりやすく教えて頂きました。南極を観察することで地球全体        

            の環境が直面している課題がよく見えてきました。そして地球を救うために自分たちに何ができ 

            るのか、そのヒントを少し見つけることもできました。

            以下、講義の概要を紹介します。

 

☆☆☆   ☆☆☆  ☆☆☆   ☆☆☆

 

  ――なぜ南極へ

  最初に、なぜ南極に行くことになったのか、お話しします。私の出身地は福岡県八女地方といういなかのまち

  です。小学4年生のころ、友達とお金を出し合って市の地図を買い、それを頼りに自転車で知らない場所をあ

  ちこち探検して回りました。とても楽しく、ワクワクする体験でした。

 このワクワク感が忘れられず、高校では山岳部に所属、大学に入ってからはボルネオや台湾、南太平洋などを

 訪ねるようになり、どうせなら地球一周をということで出かけました。そんなことをしているうちに「地球は

 案外狭い。もう行くべきところはないのでは」と思いかけたんです。でもその時、「待てよ、南極があるな」

 と、「南極にはまだ知らない自然がいっぱいあるはずだ」と気づいたんです。小学生の頃に味わったワクワク

 感を追っかけていたら、いつのまにか南極に辿り着いたというわけです。

 ワクワクする気持ちと探究心がいかに大切かということです。

  南極にはこれまで9回行きました。観測を続ける中で、3回目か4回目ぐらいから「どうも地球はおかしなこ

  とになっているぞ」ということに気がつき始めました。

 

  ―南極の歴史

  南極は2億年前には他の大陸とひとつながりでした。その後、いくつかに分かれて移動していきますが、南極

  大陸は1億年前はまだ暖かく、7千万年前には恐竜がいたことがわかっています。

 南極点に初めて到達したのはアムンゼンという人で1911年、今からたった110年前のことです。氷や暴

 風圏という自然環境が人を阻み、発見と到達を遅らせたのです。

  南極は一言でいえば、寒いけれど豊かなところです。現在は最も厚いところでは4000メートルもの氷に覆

  われています。南極の氷が全部溶けると、世界の海面は60メートル上昇すると言われています。みんなの

  んでいる横浜も沈んでしまうのです。

 

  ――いま、南極は

  私はナンキョクオキアミとその環境生態の研究をしています。

 南極海ではオキアミを魚が、魚をペンギンが、そしてペンギンをシャチが食べるというオキアミを中心にした

 食物連鎖ができていてそれが生態系を支えています。南極海には5種類のオキアミがいますが、その中でナン

 キョクオキアミは大陸を囲む主に水温0度位の冷たい海中に生息しており、他の近縁種のオキアミはそこから

 バームクーヘン状に異なる水温帯に棲み分けて分布しています。そのナンキョクオキアミが近年減ってきてい

 るのです。

  その要因は地球の温暖化の影響と考えられています。2020年は記録を取り始めてから最も暑かった。地球

  の気温は急速に上昇しているのです。南極はどうかというと、南極点では過去30年の間に世界平均の3倍も

  温暖化が進んでいるというデータがあります。その影響で棚氷の崩壊が進んでいます。温暖化によるものか

  然循環によるものかまだはっきりしていませんが、2000年には東京都の面積の5倍もある棚氷が割れまし

  た。2014年には突然、海氷面積が激減しました。

  海水温が上昇してナンキョクオキアミが減ると南極の生態系に大きな影響を与えます。氷が溶ければ皇帝ペン

  ギンは滅んでしまいます。地球の海水は、冷たい水が下に沈み込むことで1500年かけて循環しますが、

  極の温暖化はこの海洋大循環の流れをも変えてしまいます。

 

  ――では、どうする?

  南極を探ることは地球を観察することにつながるのです。ほかにも、キリバスなどの海面上昇や珊瑚の白化、

  シベリアの永久凍土の融解などなど、世界中から警告の声が上がっています。今年の8月にはICPP(国連気候

  変動に関する政府間パネル)が「地球温暖化は人間の活動が原因」とする報告を出し、国連事務総長が「人類

  への赤信号」と発言しました。

  私たちはこの問題にどう向き合い、どうやって温暖化を防いでいけばよいのでしょうか。とても難しい問題で

  すが、みなさんと共に考えていきたいと思います。

 

☆☆☆   ☆☆☆  ☆☆☆   ☆☆☆

 

 

 永延先生の講義はここでいったん終了。このあと学生たちは4グループに分かれてそれぞれ質問をまとめると

 ともに、講義を聴き終えての感想や温暖化防止のために自分たちに何ができるかなどについて話し合いました。

 

 たくさんの質問が寄せられましたが、多かったのは①南極に行って一番驚いたことは②南極での食事はどんな

 ものか③縄文時代も海水面は今より高かったと思うが現在と状況はどう違うのか④温暖化を防ぐためにはどう

 すればよいか――など。

 永延先生は、①氷山に圧倒された。こんな大きなものが海に浮かんでいるのかとびっくりした②観測船には

 門のコックさんが5人位乗り込んでいるのでホテル並みに立派な食事が楽しめる③大昔と違い、今は数年、

 十年の間に早いスピードで上昇していることが問題④CO2ゼロを目指す取り組みや、SDGs(持続可能な開発

 目標)の17の目標を達成することが重要――と答えられました。

 

 また、学生たちからは「南極で起きていることがよくわかった」「南極の氷が溶けると横浜も海に沈んでしま

 うことを初めて知った」「私たちの生活で地球が壊れているんだと思った」「公共交通機関を使うなどして

 CO2を減らさなければ」「SDGsに世界中の全員で取り組まなければ」などの感想や意見が出されました。


 永延先生は、授業前と授業後の学生アンケートから、探検発想(KJ法)図解を作成してくださいました。

  図解により様々な考えや情報をまとめて全体像をつかむことができ、その作成方法についても少し教えて頂き

  ました。

【授業後の学生アンケートより永延先生作成の探検発想図解】

2021年度 第2回授業

「原三溪さんを知ろう!~いまも横浜に生きている~」

 7月11日(日)14:00~16:00  Zoom(オンライン)

 講師:猿渡紀代子(さわたり きよこ)先生

 (原三溪市民研究会 顧問)   

 

 1868年8月22日に、岐阜県岐阜市の豪農の長男として生まれた青木富太郎(あおきとみたろう)

 さん。のちに『原三溪(はらさんけい)』というお名前で知られることになります。

 その原三溪さんを知ろう!

 

             第一章 原三溪さんの人生と仕事

             第二章 原三溪さんがつくった三溪園 

               第三章 原三溪さんと美術コレクション~日本画など~

 

   第1章は、三溪さんが生まれ故郷の岐阜から上京し東京専門学校(後の早稲田大学)で

   政治・法律を学び、 原やすという女性と出会い結婚し 、原富太郎となるお話。

   やすさんの祖父である原善三郎が営む横浜の生糸商「原商店亀屋」を継ぎ、その店の社名を  

   「原合名会社」と変え、三溪さんは明治時代の生糸貿易を支え実業家として活躍します 。

   世界遺産になった「富岡製糸場」は、三溪さんの会社が 35 年もの間経営し 、世界に生糸を

   輸出したり、支店を増やしたり 、ますます発展していきました。

   また、原合名会社の扱っていた生糸が一体どのようにしてまゆ玉から作られていくのか、

   碓氷製糸(株)の動画を視聴。 

   このように経営者として大忙しだった三溪さんですが、 プライベートでは、

   趣味の絵画や書をたしなみ、料理のレシピ 「蓮華飯」や「三溪そば」など考案し                     お客様にもふるまっていました。                            三溪園ホームページより引用

   ビジネスだけではなく、自分の時間も家族も大切にし 、1939(昭和14)年8月16日

   満70才で亡くなりました。           

                             

   第2章は、三溪園パンフレットを 開き、正門から三溪さんの自宅だった「鶴翔閣(かくしょうかく」、

   シンボルの 「 三重塔(さんじゅうのとう) 」 、重要文化財となる建物「 臨春閣(りんしゅんかく) 」 、

   「聴秋閣(ちょうしゅうかく) 」などを道にそって見学しました 。

   東京ドーム4個分、約5万3千坪という広さの三溪園は、三溪さんが自分でデザインし、20 年かけて造り

   上げた自然豊かなお庭です。重要文化財や国宝となるような貴重な建物を移築し、のこしました。

   三溪さんは、出来上がったその庭を一般市民が誰でも24 時間自由に出入りできるように公開したのです 。

   その精神には、

   「自然の美は神様がおつくりになったものであり、私のものだけではなく、皆で共有するものだ」

   という考えがありました。

   その後、関東大震災で崩壊した横浜で、三溪さんは復興委員会会長として市民の前で演説します 。

   「横浜の外形は焼き尽くされても、横浜市の本体は厳然として存在している。それは市民の精神、市民の

   元気である」

   そして、がれきから山下公園を造るなど、みごとに横浜の復興に力を尽くしました。

 

   第3章は、 趣味の多い三溪さんの 5000 点もの国宝や重要文化財になるような   

   美術品のコレクションをほんの少し紹介 。さらに、三溪さんは画家を目指す

   才能のある若者たちを金銭面や生活面でもサポートし、精神面でも一緒になっ

   て作品作りに協力していました。その若者たちは 、横山大観(よこやまたい

   かん)や前田青邨(まえだせいそん)などという、後に歴史に名を残すような

   画家へと成長しました。

   三溪さんは、どんな画家にも平等に接し、自宅を制作場所として提供し、自分

   のコレクションもおしみなく見せながら共に議論し、若い画家を支援すると

         いう重要な役割を果たしました。                           三溪園ホームページより引用

     その精神には、

     「美術品に備わった歴史や美しさといった価値は、自分だけのものではなく、皆で共有するものだ」

     という思いがありました 。

     三溪さんの美術品コレクションは、戦争の空襲で焼けずに全て残っていたら、横浜市に立派な美術館が作れたかも

     しれないほど素晴らしいものでした。

 

 ~学生アンケートより~

 

  <一番印象に残ったこと> 

    第1位 関東大震災復興委員会会長の演説

    第2位 原三溪さんが自然や美術品を皆と共有するべきと考えたこと

    第3位 原三溪さんの優しさ

 

  <原三溪さんについてもっと知りたいこと>

    第1位 原三溪さんの作品

    第2位 原三溪さんの人柄(幼少期・趣味・好みなど)

    第3位 三溪園のこだわったところ、美術品の種類

 

  <猿渡紀代子先生に質問>

    原三溪さんの研究を始めたきっかけは?

   

    「三溪園の門から中に入ると、外とはまったく別の世界が広がっています。

    この庭園をつくった人は、そしてすぐれた日本画家を育てた人は、どのような人だろうと知りたく思いました。

    一番おもしろいのは原三溪さんの自分のことよりも他人の幸福を願う人間性と多面的な人物像です。

    原三溪という人物をまるごと知りたいと思い、今も研究を続けています。」


 猿渡紀代子先生

 原三溪市民研究会の皆さま

 ありがとうございました!!

2021年度 第1回授業

 

「ウィルスとワクチン」 

 2021年6月6日 Zoom(オンライン)

 

  講師:榊原 洋一(さかきはら よういち)先生 

 (チャイルドリサーチネット所長,お茶の水女子大学名誉教授,日本子ども学会理事長)

     

 学生62名(4年生29名、5年生15名、6年生18名)参加

 

  

  1. 目で見ることができないほど小さいウィルスはなぜ怖いの?

  人の体に対するウィルスの大きさは『地球』に対する『人間』くらい小さい。

人の体内に入ったウィルスは、一度感染するとどんどん増え、何兆、何十兆にもなる!

そして、ウィルスの遺伝子は不安定で、すぐに変わってしまう性質がある。2週間に一回位は新しく変異しているが、

変異しても弱いもの、変わらないものもある。

2. 細菌(さいきん)とウィルスによる病気の違いは?

  似ているようで違う細菌とウィルス。姿かたちも違うけれど、一番大きい違いはウィルスには細胞(さいぼう)がなくて、

  増え方も違う。ウィルスによる病気と細菌による病気の種類の中で、以前はコロナウィルスよりもっと怖い病気があった。

  一番怖いのは狂犬病で致死率は100%。現在はワクチンや治療薬ができてほとんど怖い病気ではなくなっている。

3. コロナウィルス感染症(COVID-19)ってどんなウィルス?

まだわからないことが多いけれど、分かってきたこともある。

子どもは大人に比べて重症化しないと言われ、死亡例もほとんど報告されていない。子どもの細胞は大人にくらべて未熟

だということがわかってきた。コロナウィルスが侵入するACE受容体が未発達なので感染しにくいが感染しても大丈夫と

いう訳ではない。症状は何にも出ない人もいれば、ちょっとした風邪の症状や、重くなると、呼吸困難で肺炎がおきて

人工呼吸器をつけたり、人工心肺エクモというものを取り付けないといけなくなる。今一番の対策は、ワクチンをうち

感染しても重症化しないようにすること。また感染しない、感染させないためにマスクをして防ぐことが大事。

 

【学生の質問!】

 「新型コロナウィルスはなぜ突然流行したの?どこから発生したの?」

 (先生)中国武漢の研究所で、元々あった毒性の弱いコロナウィルスが、動物の体の中で自然に変異したか、人工的に変異   

     させられたかのどちらかで、感染力が強い・毒性の強いウィルスに突然変異がおき広がったと考えられている。

 「ワクチンの効果は変異株に対して変わる?」

 (先生)効果が出たかを見るには2つの方法がある。1つは実際に1000人くらいに打ってみて、打たなかった人との違いを 

     見る。もう1つは、注射した後にその人の血液を採取して、ウィルスに対抗する「抗体」について調べる。

     ワクチンを打った人の体の中には、この変異株を殺す「中和抗体」ができていることがわかっているので、変異株

     にも効果はある。

 「なぜ子どもはワクチンを打たないの?」

 (先生)理由のひとつは、まず医療崩壊をさける目的。二つ目は、そのために重症化しやすい老人から優先に打つため。

     子どもは感染しても死亡例がほとんどないため、「強い人は待っていて」ということ。医学的には子どもにもワク

     チンの効果があるのはわかっている。

 「ワクチンは何人で、どれくらいの期間で作られるの?」

 (先生)種類によって作り方が全然違う。今までのワクチンは45年かかり、手間もかかっていた。ファイザーやモデルナ

     社のメッセンジャーRNAワクチンは、全部化学合成によって遺伝子を作る。バイオタンクの中でどんどん作ること

     ができるので、もう十何億人分くらいのワクチンができている。高度な技術がいるが、時間的には早くできる。

 「ワクチンの副反応はどのくらい?」

 (先生)副反応は大きく2つ。1つは打った後に打った場所が痛くなる軽い副反応で、2人に1くらい出る。また、2回目

     を打つと50%くらいの人に熱が出る。これは体の中で「抗体」というものが作られる時の反応なので、これ自体

     は悪くない。皆さんが一番心配している「アナフィラキシー」という副反応は、ワクチンそのものではなくて、ワ

     クチンを溶かした液の中に安定剤として入っている「ポリエチレングリコール」という化学物質による。これで以

     前アレルギー反応を起こした人の12万人に1人くらいにアナフィラキシーが出ます。でも、そこにお医者さんが

     いて、治療する薬があれば、命に関わることはほとんどありません。注射をして大体515分くらいの間に咳が出

     て、ゼーゼーして、気持ち悪くなったり、血圧が下がったり、意識を失うことがある。

  この時にアドレナリンを注射すると、ほぼ100%、元に戻ります。アナフィラキシーで死んでしまう多くの事例が、山の

  中でスズメバチに刺され、周りにお医者さんもいない、病院もない、薬もない場合。食物アレルギーのある人は「エピペ

  ン」と言って自分で注射できるものを持っていて、これを打てば元に戻る。

  また「血栓ができやすくなる」という心配もありました。血栓症は、ワクチンの開発をしている人たちが、ワクチンのど

  こが血栓を起こしやすくしているのかを研究して、この間その論文がでた。それに基づいてワクチンも少し変えるかもし

  れないということを言っている。

  今ある他のワクチンにも副反応はある。また「ワクチンを打った人が1週間以内に亡くなった」という怖い情報が出てき

  たりするが、その中にはたまたまワクチンを打った1週間後に別の原因で亡くなった人も含まれていることがある。

  正しい知識を持って、正しく怖がり、正しい判断をすることが大事。

 「人に良い効果をもたらすウィルスはありますか?」

 (先生)ウィルスの中には人に感染しても人に害を与えないものはあります。感染して良い効果をもたらすウィルスは知られ

     ていませんが、大昔に人に感染した時に、ウィルスの遺伝子(DNA)の一部が、人の遺伝子の中に入り込んで、良い影響

     を与えいる例はあります。実は人間の遺伝子全体の8%は、大昔(何百万年以上前)に人の祖先に感染した時に人の遺

     伝子に潜り込んだウィルスの遺伝子の一部です。例えば赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる時に、赤ちゃんを守る働き

     をしている遺伝子は、こうした大昔のウィルスの遺伝子の一部であることがわかっています。

 「人によってワクチンの効果は違うのですか?」

 (先生)ワクチンを打つと、体の中でリンパ球という白血球の仲間が、抗体を作ったり、ウィルスを殺す働きのある特殊な  

     リンパ球に変化しますが、その量には個人差があります。そのため、作られた抗体の量が少ないと、ワクチンを打

     っても感染予防の効果がなかったり、少なかったりすることはあります。新型コロナのワクチンの場合、十分に抗

     体ができない率は25%くらいになります。安全で効果があるとされている麻疹のワクチンでも、抗体が十分で

     きない率は5%くらいあります。

 

たくさんの質問にていねいに答えていただきました。

榊原洋一先生、ありがとうございました!! 

 

2020年 リモート学部〈第一章〉オンライン授業

通常の授業ができなくても、今できる“学び”を提案する「リモート学部」
初めてのZoom使用にスタッフも四苦八苦!!
連日画面に集まって準備を重ね、毎回手探りの授業は

無事5月に4回を終えました。


5/9    第1回 ”麦畑deムギトーーーク”
5/16  第2回 ”麦畑de水トーーーク”
5/23  第3回 ”みんなde水マップつくろーーー!”
5/30  第4回 ”わたしたちde水をつなごう!!!”

 

毎回変わるタイトルからもわかるように、子ども達の

言葉から次は「何する?」
20人を超える学生が参加し質問や意見が飛び交いました。


ご協力頂いた横浜市立大学 木原生物学研究所 坂 智広(ばん ともひろ)教授の麦畑ライブ中継から始まり

テーマはムギから水へ。みんなの「水」マインドマップ作成。

そして最後に子ども達から出てきた言葉は・・・


「水から全て人につながっている」「水なしでは生きられない」

「水を考えると世界が変わるかも」「私たちの技術の進歩が他の生き物にとっては悪影響」


大切な「水」を守るために私たちができること
まずは問題を知ること。話すこと。
新しい形の学び合いは第二章へと続きます。

 


3.事務局会議